『人間になりたかった獣/2』
【桜舞う】
山の神様の名前は『サスケ』と言って、それは立派な黒い鷹なんだそうだよ。
でもこれを知っているのはアタシと、教えてくれたアンタの曽祖父さん。
それに今は。ナルト、アンタだけだね。
そう言って婆ちゃんが誇らしげに笑う顔が、今でも瞼の裏に焼き付いている。
ザクザク、と入り組んだ獣道を掻き分け進んでいく。登山靴の底で草叢に埋もれて見えない足場を確かめながら進むのももう慣れたものだ。
初めて登った時は地図を片手に手探りで進んだ山道も今では所々の木に赤いの幅広な紐を結わえ、迷わないように目印をつけてある。こうすれば移動時間を短縮して思う存分フィールドワークに精を出せる。ルートさえ解っていれば迷路のような山道を歩くのもさほど難しくはなく、二度目に山へ入った時には初めて訪れた時よりスムーズに目的地にたどり着くことができた。
初めて出会ったあの日から、サスケは現れていない。
翌日も山を登り、桜の木の下に数時間居座って大声で煽ったり懇願したり、手を変え品を変え呼びかけてみても変化はないまま、ついに今日で通い詰めて一週間になる。そんな気分屋なカミサマのため、今回は手土産を持っての訪問だ。
背中に覆いかぶさるような大振りのリュックサックはこれでもかとばかりに供物を詰め込んだせいで、持ち上げるのに苦労するほど重くなっている。だがそんな荷物の重さを忘れるくらいにナルトの心は軽やかで、もう一度会えるともわからない『サスケ』の事で頭がいっぱいになっていた。
「神様っていっても、長年お供えとかされてないんだろうし…色々持ってきたから数打ちゃどれか当たんろ…っと、到着!」
急勾配の山道に突然現れる広場のような平地。見守るように佇む桜の木は五分咲きから満開を越え、ちょうど散り始めの花びらが舞い落ちていた。
一面の青空と緑の中に一本だけ、伸び伸びと咲き誇る見事な薄紅色に思わず感嘆の声が漏れる。ここ数日、毎日見ている景色だが全く飽きる気配がない。
「おーい、サスケェー。土産持って来たぜー!でてこいよー!」
背負っていた登山用のリュックを手ごろな岩の上に降ろしながら大声で呼びかける。声をかける方向は特に決まっているわけではなく、一際立派な桜の枝だったり、こちらを伺うように揺れる藪の切れ間だったり。とにかくそこにサスケがいるような気がする場所に向かってナルトはしつこく声をかけ続けた。
「…ったく頑固ヤロー、じゃあオレだけで花見始めちまうからなー」
別に花見をしに来たわけではなかったが、今日も何処かで息を殺して此方の様子を伺っているだろうサスケを意識しながら鞄を開け、次々を供え物用の品を取り出していく。
初めて助けてもらったあの日「そんな名前、知るかよ」と、だけ告げたサスケは腕の中で小さな嵐がはじけたような衝撃と共にその場から消えてしまった。
まるで夢のような短い時間。
だがナルトは覚えている。掌を滑らせた背中に浮き出した肩甲骨、しがみついた腰の硬さ、重力に逆らい浮かび上がろうともがく身体。そして困ったようにこちらを見下ろしていた優しい黒い瞳。
その後、彼がナルトの前に現れることはなかったが訪れる度、目に見えない気配を感じるような気がして、再び会えるまで通い詰めてやろうと決意を固めた。
過去の少ない文献や祖母の話を頼りに、今日こそは供え物を餌に気難しい神様を炙り出そうと色々用意をしてきたのだ。
まずはオーソドックスなもの、饅頭やおはぎを並べて桜の木の前に正座してみる。
本来なら社やご神体の前に備えるのだが肝心の神体はいくら探しても見つからなかったので本人が現れたら聞いてみることにした。
「………………」
風ひとつ吹かない静寂に包まれる。
はらはらと散り行く桜の花びらすらも興味がないと言わんばかりに饅頭の皿を避けて地面に落ちていった。
「…ハズレ?」
どうやらお気に召さなかったらしい供物を摘み上げると、躊躇いなく自分の口に放り込んで帰りの荷物を減らす。口の中いっぱいに広がる甘さに目を細めながら次の品を取り出して、先ほどと同じように大樹の前に捧げた。
今度は米と適当に見繕った果実。
炊いた米を持ってくることはできなかったので自宅の米櫃から取ってきた生米だが、寂れた村の山奥に祀られていた神ならば饅頭などの菓子よりは見慣れた品かもしれない。
しばらく待つとふわりと舞った桜の花びらが一枚、まるで居場所を選んだかのように米を盛った升の上に舞い落ちた。
(…偶然じゃなけりゃ意外と解りやすいな、カミサマって)
ここで露骨に反応してはあの頑固な神様の機嫌を損ねてしまいかねない。笑みを浮かべそうになる口元を隠すように反応の芳しくなかった果物を下げ、そこから赤く熟れたリンゴをできるだけ美味そうに齧る。
時には桜を愛で、焦った風でもなく鼻歌交じりに荷物を漁り、持ってきた菓子や果物を食べる。まるで楽しい花見をしているかのように振る舞う自分の姿は天岩戸と開こうと宴会を開く八百万の神々のようだろう。もちろんここにいるのはナルト一人きりで楽しい宴会というにはほど遠いのだが。
だが、米に反応を示したとなれば次に出す品は随分絞られてくる。どうやらこの神様は甘味はお好みではないらしい。それならばと鞄から引っ張り出したのは御神酒として持ってきた純米酒の一升瓶、今日の荷物の中では一番重たくて値が張るものだ。
そもそも御神酒というのは酒の種類に決まりがあるわけではなく、普段自分が好きな酒を神様に差し上げてそのお下がりをいただく物。
そういった意味では水だって構わないのだが、なんとなくこの山の神様は気位が高い気がしたので少しだけ拘って、大吟醸とまではいかないが財布の許す限り上等なものを用意した。ちなみにナルトが好むのは専ら甘めのチューハイや、安価な発泡酒で日本酒はあまり嗜むほうではない。
自宅の倉庫と化している部屋の一室から持ち出した朱塗りの杯と、二十歳になったばかりの大学生がなけなしの金で買った酒と、一枚の花びらが乗った米を並べ、改めて鮮やかな大樹の前で正座する。
意地っ張りな神様が姿を現しやすいように静かに目を閉じてみると、先ほどまで無風だった野山を心地よい風が駆け抜けた。きっとあの日のように何も履いていない爪先は地面から少し浮いているのだろう。足音は聞こえないけれど、暖かい風に舞った花びらが頬を撫でるくすぐったさで彼が傍に来ていることがわかった。
「サスケ」
静かに呼びかけると穏やかに吹いていた風が僅かに乱れ、彼の心を映したようにその勢いを増すが、それでもまだ目は開かない。緊張しているのか、?に当たる風に固さを感じる。できるだけ警戒心を煽らないように、なるべく静かに穏やかな声音で語り掛けた。
「あのさ、…オレ、お前と話したいんだってばよ。だからそんなに隠れないで、また姿見せてくれねーかなって………あれ?」
耐え切れず、薄く瞼を開いた視界の先に移ったのは相変わらず淡いピンクがちょこんと乗った生米と、豪奢な朱塗りの盃に山盛りに積もった桜の花びらだ。
どう見ても自然に降り積もったものではなく、誰かが故意に盛り付けたものだろう。よく見れば花びらに混ざって、まだ散っていない桜の花弁まで混ざっている。
苦労して手に入れた酒はよほど気に入られたのだろうかと心が踊り、思わずぱっと目を開いた。しかし、そこに求める神様の姿は無く、盃の隣に置きっ放しにしておいた御神酒の一升瓶だけが忽然と消えている。
「…ドベが選んだにしてはいい酒じゃねぇか」
頭上から降ってきた声に誘われ顔を上げると花びらではなく、冷たい雫がぽたりと頬に落ちてきた。アルコール独特の芳醇な匂いでそれが自分がもってきた日本酒だというのがわかった。
視線を上げた先には今日まで何度も山道を登り、まるで取り憑かれたように求め続けた姿が見える。
忘れもしない漆黒の着流しと同じ色の瞳、闇を染め上げたように洗練された黒と白い肌の対比が眩しい。満開の桜の枝に腰かけた人間のような、人間ではないもの。
その神秘的とも言える存在にナルトは暫し我を忘れて彼の姿に見惚れていた。
人形のように整った容姿と闇色の着流し、そこから伸びた白い腕が一升瓶を掴み無防備な喉をごくごくと上下させながら豪快にラッパ飲みしている。
(ん、一升瓶?)
「あーーーーーーーーーーーーー!!」
「…んだよ…うるせぇ…」
地面から消えた一升瓶はナルトが目を閉じていた一瞬の間に男の手の中に収められ、すでに三分の二ほど飲み下された後だった。
いくら神仏に供えるためのものとはいえ、学生の薄っぺらい財布と相談に相談を重ね身を切る想いで用意した酒だ。ここまで遠慮なく飲まれては叫びのひとつも上げたくなるものだろう。
思わず涙目になりながら、桜の大枝にゆったりと背を預けた黒ずくめの男を見上げる。
人見知りで意地悪で、案外単純な山の神様は、情けない顔で見つめてくる人間が面白いのか手の甲で口元を拭いながらくつくつと肩を揺らし笑い始めた。
手ぶらで来た時は気配はすれども姿一つ見せなかったくせに、好みの供物を用意した途端現れてくれるとはなんとも現金なものである。
「それ高かったんだぞ!?何もイッキすることねえじゃん…しかもラッパ飲みだし…」
せっかくそれっぽい盃も用意したのに、と抗議すると、おそらく久しぶりだろう供え物を堪能し機嫌がよくなった『神様』は周囲の風を集めるような緩やかな動きで木の枝から身を躍らせた。
もちろん人間のように地に降り立つ仕草ではない。ふわりと地面の手前で浮かび上がり、汚れひとつない裸足の爪先はふわふわと宙に浮いている。黒い着流しの裾が所在なさげに春の風に遊ばれなびいていた。
「…馬鹿みたいに重い荷物背負ってここまで来た割に、小さいことに拘るんだな…クソガキ」
「だからガキじゃねえ!オレはうずまきナルト!お前に比べればガキかもじんねーけど、もうガキじゃねーし、酒も飲める歳だっつーの!」
先ほどまで畏まっていた正座を崩し、地面に胡坐をかいて抗議する。そんなナルトを後目に黒ずくめの神様は残り僅かになっていた日本酒を一気にあおり、空瓶を指先でつまんで得意げに口元を緩めた。
露骨に機嫌がいい様子なのは、供え物が気に入っただけではなく久々の酒に酔っているのかもしれない。
「そんなに文句があるならお前も飲めばいいだろう」
すっかり空になっている瓶をこちらに突き付けながら顎で地面に置かれた盃を指し示される。
杯の中にはどうすればこんなにきれいに集められるのかというほど大量の花弁が山と盛られていて飲めるものなど無いのだが、彼の言葉には有無を言わせぬ圧力が込められている。
『サスケ』の視線に逆らえば空中から頭を踏みつけられそうな気がして、彼の機嫌が良いうちにおとなしく従うことにした。
半信半疑のまま朱塗りの杯を両手で捧げ持ち此方に向けられた空瓶の注ぎ口に近づけると、形の整った手に握られた空瓶がそっと傾けられる。
空瓶の中には一滴の酒さえ残っていない。そのはずなのにほんのりと良い香りが鼻をするぐって、桜の花に満たされた杯がまるで酒を注がれているかのようにとくとく、と手の中で震え始めた。
薄紅の花びらがみるみるうちに溶けて透明な液体へと変わっていく。まるで魔法のような光景に目を見張ったナルトが言葉を挟む間もなく、先程まで桜一色だった杯の中には溢れそうなほどの酒がたっぷりと注がれていた。
「ガキじゃないんだろ、飲んでみろよ?」
「お、おう…」
目を丸くして眼の前の出来事を見つめていたナルトを得意げに見下ろしながら、黒ずくめの神様はやはり空のはずの酒瓶を振って早く飲めと急かしてくる。
突然の出来事に面食らってはいたが、頭上から覗き込んでくる男に怖気づいたのだと思われたくなくて、今にも零れ落ちそう杯の縁に溜まっていた雫をすくうように唇を押し付けた。
舌を蕩かせながら喉に流れ込んでくる液体は確かに酒だった。しかしその味はまるで、水のように澄んでいてほんのりと甘い花のような風味だ。
御神酒というものは毎日味が変わり、飲む者の業や心持ち次第で苦くも辛くもなるというが、今ナルトの口の中には清く儚げな甘さがまるで甘露のように広がっている。
ナルトはうっとりと眼を閉じると両手で支える大きめの盃の残りをほとんど一息で飲み干した。
(うまい)
以外にいけるクチか?とからかう様な言葉を聞き流しながら、普段日本酒など飲めるほうではないのにと首を傾げる。味も喉越しも今まで飲んだ酒とは比べものにはならないほど美味いと感じたのだが、意識はむしろ素面の時よりも冴えていてまるで神聖なものに清められたというような気分だ。
これが神様から賜った酒。『御神酒』というのだろうか。此方を見つめてくる黒い瞳がどこか得意げ細められている。
「…で?」
こちらの盃が空になるのを待つように、短く声をかけられた。唇に残る雫まで名残惜しげに飲み下してから瞼を開くと、黒い着流しの裾を風にはためかせた男がこちらを見下ろしている。
「えっと、美味かった…」
「そういう事を聞いてるんじゃない」
呆れたようにため息を吐く姿はどこまでも不遜で生意気だというのにどうしてだか言葉の節々には暖かみを感じさせる。
「でかい荷物を持って毎日毎日…何の用だと聞いてる」
爪の先端まで綺麗に整った指先が、岩の上に置きっぱなしになっている登山用の鞄を指差した。重い荷物を担いで山を登ってくるナルトに、今日も自分が出てこなかったらどうするつもりだったのだと問い詰めている彼の様子はやはり、言葉とは裏腹に優しい。
「別に背負えば運べるし、それに神様に会いに来るのにお供えの一つも無いのは失礼かと思って…」
荷物が予想より重くなったことを指摘されると否定はできないが、子供の頃から聞かされていたお伽噺の神様にもう一度会えたのだから奔走した甲斐はあったというものだ。
「別に神様じゃない」
ナルトの言葉にほんの一瞬サスケの顔が曇った気がしたが、彼が俯くと頬に触れるほど長い前髪がにその整った顔に影を落し、はっきりと表情を伺うことはできなくなった。
「大体、神だと思ってるならあんなところに荷物を置くな。重い」
へ?
置き去りにしていたリュックの中は試そうと思っていた供物の残りが大量に残っていて、まだそれなりの重量がある。鞄に触っていないのになぜ重さがわかるのだろう。ナルトは小首をかしげつつ自分の荷物が置かれた腰かけるにはちょうどいい大きさの石を見つめて、次第に背筋が寒くなった。
「重いって…もしかして…」
その岩は漬物石を一回り大きくした程度のサイズのくせに、簡単に持ち上がらないほど堅く地面に食いついていて荷物置き場に丁度良く、弁当を食べる際は自分も幾度か腰かけたことがある。青ざめながらその石を注視してみると、掠れてしまってほとんど読み取ることのできない彫り跡の名残りだけが辛うじて確認できた。
額に嫌な汗が滲むのを感じながら、もしかしてあれが御神体?という問いが言葉になる前に、背後から大きなため息が耳に届いた。
「解ったなら早く退かせ」
腕を組み、不機嫌そうに鼻を鳴らす神様に背を向け慌てて岩に駆け寄ると重たい荷物を放り出し、薄汚れた石に確かめるように触る。
一応、こういう古い依り代などは見慣れているつもりだったのが、全く気がつかなかった。それほど手入れをされていない御神体は雨風で削れ、雑草に埋もれ、苔生していた。
「…みすぼらしいって思ってるだろ」
背後のサスケがぽつりと呟く。
ナルトは滅相もない、というふうに両手をぱたぱたとふりながらこのとても神が祀られているとは思えない石をどうにかフォローしなければと思考を巡らせた。
「…勝手に建てられただけだから別に気にするな」
眼を白黒させるナルトが面白かったのか僅かに笑みを浮かべた神様は手にしていた一升瓶を足元に置き、ふわりと桜の樹へ舞い上がった。座り心地の良さそうな枝に腰を下ろすと、またつまらなさそうな顔でぼんやり空を見上げ始める。
「お前ってばこれができる前から、ずっとここに居たのか?」
人間が勝手に社を建てたのなら、つまりそれは彼がここで人々に信仰されるような行いをしていたということだ。それは今は亡き祖母の昔語りと一致する。
「………聞いてどうする?」
自分の御神体を蔑まれるのはやはり気に入らないのか、急に素っ気なくなった神様の下に歩み寄る。数日足繁く通った成果か警戒されている様子はない。
「オレの婆ちゃんが、って言っても血は繋がってないんだけど…お前に助けてもらった事があるんだってさ!」
遠くの空に向けられていた黒い瞳がちらりとナルトに向けられる。
「それで、オレ、ずっとお前に…『サスケ』に憧れてたんだってばよ」
無感情にこちらを見下ろしていた黒い瞳が不意に細められる。何か懐かしい者を見るような柔らかい眼差しに何故だか無性に胸が苦しくなった。
「オレはお前が憧れるようなモノじゃない。それに『サスケ』なんて名も知らねぇ…」
そう言いながら彼が少し切なげな視線を向けてきたのもほんの数秒のこと。すぐ興味が無くなったと言いたげに枝の上に寝転んでこちらに背を向けてしまった。
「だから、早くオレの事なんて忘れろよ」
微かな声が風に乗り耳へ届く。散りゆく桜の中、今にも消えてしまいそうに儚い後ろ姿が見ているだけで辛かった。
「なぁ、明日も来て良い?」
ほとんど無意識に声が出ていた。ずっと憧れていた神様だからだろうか。まるで自分を価値がないモノのように言う彼を、このまま一人にしたくない。そして忘れろと言われても先程眼の前で起こった奇跡も、飲ませてもらった酒の味もまだ鮮明に頭に焼き付いている。
「忘れろって言っただろ」
「絶対忘れねぇ!」
少し苛立ちを孕んだ声に喧嘩腰で答える。彼が言っていた通り本当にこの神様が『サスケ』ではなかったとしても、いまのナルトにはこのまま別れることなど考えられなかった。
「また酒とか持って来るから、会いたい…」
はらはらと散る桜が穏やかな春の風に乗って流れていく。
「神様じゃなくても、なんでもいい。ただ、またお前に会いたいんだってばよ」
沈黙が木々の揺れる音に溶け、一本だけ咲き誇る桜の樹の周りを包む。ナルトの瞳が真っ直ぐ黒い着流しの背中に縫い付けられている。
「…勝手にしろ」
それは本当に微かな声だったが、彼の言葉ははっきりとナルトの耳へ届いた。ついでに観念したような、呆れたような深いため息も漏らされたがそちらは聞こえなかったフリをする。
「マジで!?絶対だからな!」
絶対、絶対、と繰り返すナルトに根負けしたのかようやく山の神様が身体を起こす。気怠げに細めた瞳はやはり吸い込まれてしまいそうな美しい黒色だ。この瞳をもっと見ていられる。そう思うだけでナルトの心は野山の草木のように瑞々しく潤いを増す。
「あともう一つ!」
満面の笑みで指をひとつ立てるナルトに、「何だ?」と面倒臭そうな低い声が答える。
「お前のこと『サスケ』って呼ぶから、よろしくな」
黒ずくめの神様は少しだけ驚いた顔をした後、すぐに顔を逸らして小さな声でもう一度「勝手にしろ」とだけ呟いた。
柔らかい風が肩を切り頬を掠める。芳しい春の匂いに混ざって、さっき飲み干した御神酒の少し甘ったるい花の香りがした気がした。
続